最初の宅配業時代
帰郷してすぐ宅配業の臨時募集の話があり、とりあえず働きながら今後を考えようと応募し、軽い面接を受けてその場で即決採用される。
小さい頃から地図を見るのが好きだったことが幸いしたのか、つらいことがありつつも仕事が楽しくて結局7年間も勤めた。
その後、採用される正社員が決定したため、臨時の私は辞めざるを得なかった。
水道工事業時代
退職後、宅配業で配達先の1つだった水道工事会社へ就職のお願いに行ったら、なんとか採用してもらえた。
水道工事の仕事は、きついながらも楽しい発見がたくさんあって長続きしそうだった。
ところが1年3か月後、仕事で頻繁に使用した道具のパイプレンチによる握力や、配管を通す場所のコンクリートブロックを壊すため頻繁に使用したピック(大型コンプレッサー)の振動が体に影響を及ぼす。
両手の中指が「バネ指」とも呼ばれる振動障害になり、止む無く退職することになった。
無職時代
配達や水道工事の仕事を一生懸命まじめに働いたのに、なにをやってもダメなのかと自暴自棄になって2年間無職を経験する。
養豚業時代
このままではいけないと奮起し、動物を扱う仕事を一生に一度はやってみたいと養豚業へ。
しかし、毎日のように子豚が亡くなってしまうことや、作業中に大ケガをしたことで1か月あまりで辞めてしまう。
2度目の宅配業時代
ケガで療養中、以前勤めた宅配業の方から「社員が病気で急死したため、また臨時でやってみないか?」と誘いが来る。